苫前町であった熊騒動

最近は熊が市街地に出没したというニュースが珍しくありません。

2021年6月18日。札幌市東区に熊が出没し4人が襲われて重軽傷を負い、早朝から熊についての報道がされTwitterでも心配する声が多くありました。熊は最終的に東区丘珠町で駆除されました。

 

その後Twitterのトレンドには三毛別羆事件が。

この事件についてはテレビでも取り上げられたこともあってかご存じの方も多いのではないでしょうか。知らないよ、という方はウィキペディアをご参照下さい。(若干グロテスクです)

ja.wikipedia.org

この事件は1915年(大正4年)12月9日から12月14日にかけて発生した日本史上最悪の熊害(ゆうがい)。北海道苫前郡苫前村三毛別六線沢で発生した。現在は三渓という地名となっている。

熊の話題なれば必ずと言っていいほど話題にあがる話である。

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三毛別羆事件復元地

熊害としてはこの事件が有名であるが実はこの事件以外にも苫前町では熊による騒動があったことをご存知だろうか。

もちろん北海道全域において熊は出没するので特筆することでもないかもしれませんが、そうした開拓の歴史があったことを「苫前町農業史」から紹介したいと思う。

 

 

まず北海道の開拓の歴史は自然との戦いであったが熊もその対象である。

実は熊はかなり生息していたものの開拓初期の頃は食物が豊富だったからか人畜の被害は少なかった。が、開拓が進むということは熊の生息域を侵していくということ。徐々に熊の被害は増えていく…

 

熊騒動の予兆

明治27年6月に大矢根清五郎、中西彦太郎、大矢根喜代七、他一人の四人が開墾のために小屋掛けに行き、二人は小屋掛けが終わったあと帰ったが残りの二人は小屋に宿った。

昼でも暗い密林の中、さらにその夜は大雨であり、このようなところに内地から来たばかりの両氏のさびしさは言うばかりなかった。

そこに熊は来て小屋の周辺を頻りに歩き回り寝ることができなかった。という話がある。このような経験をしたものは相当いたようだ。

熊に対する安全を図るため六線付近に七軒家と名付けられた集団をつくったという話もあるが、これは土地ごとに着手小屋を建てることになっていた当時としてはこの苦労もあったと考えられる。

 

着手小屋とは開墾のための小屋で「拝み小屋」とも言われる。小屋と言っても木でできた小屋ではない。ササで覆っただけの建物である。詳しくは北海道開拓倶楽部様のサイトを参照。

www.hokkaidokaitaku.club

この頃から熊の生息域と人の生活域が近く重なり始める。

 

四線沢の熊騒動

私が苫前町の記録として熊による最古の負傷者を確認したのは明治年間(年月日不明)に四線沢で起きた熊騒動である。

四線沢に狩りに出かけた大西勢兵衛、伊藤幸太郎両氏は突然現れた手負い熊に襲われ、大西氏は銃を持ったまま熊におさえられて片目を失い、伊藤氏は耳を怪我した。

3日間部落民が総出で銃の筒先を揃えて発泡するという戦場さながらの光景を呈したが、ついに山本という狩り人によって射止められたという話である。

今でも同様だが銃を持っていたとしても熊に襲われればひとたまりもない。熊が前足を一振りすれば人の頭などいとも容易くグチャグチャにしてしまう。

 

 緬羊喰いの熊騒動

次に紹介するのは人の被害ではなく家畜の被害である。

三毛別羆事件の後である昭和25年頃に岩見(いわみ)、小川地区で起きた緬羊喰いの熊騒動が起きた。

この事件は岩見、小川の集落で人家近くで飼育していた緬羊を3年間に40余頭喰い殺された、というもの。

 この熊は2年後の昭和28年7月に小沢幸三郎、加藤儀一、黒川豊四郎の三氏に射止められた。このときは夜討ちということを始めたとのことだが砲煙のため2発目が撃てずに困ったと小沢氏は語った。

この騒動で注目すべき点は熊の執着心は強いという習性が顕著に現れた事例であるということ。

この騒動の熊は緬羊約40頭を喰い殺しているが5間(約9m)先の母子馬を狙わず、それを素通りして緬羊を襲っている。

(最後に『此の胃は一年余りになっても未だ固まらない。これは緬羊の油が多いからだそうだ。』とある。これは射止めた熊を解体しその胃を一年間も保管していたということだろうか。流石にそれはないと思うが緬羊を食べていたことにより脂肪がついていたのだろう…)

 

 熊は一度食べた食べ物は忘れず再びその味を求める。三毛別羆事件もその習性が現れたことによって起きた事件と言える。

 

今回は苫前農業史に記載されていた熊による被害を紹介した。記載のあった熊の被害は以上であるが大小はあるものの熊による被害は多くあったと推察できる。

最後に

熊が人の住む街に山から降りてきたとよく言われるがそれは逆で、人の開拓・開発によって人間が熊の生活圏に踏み入っているのである。山の食べ物の不足など様々な原因はあるが、上で述べた熊の習性を理解することも必要だと思う。具体的に言えば山に食べ物、ゴミを捨てないなど被害を未然に防ぐことが必要である。

 

最後までお読みいただきありがとうございました。

ーーーーー参考文献ーーーーー

苫前町農業史(昭和31年4月発行)