夕陽差し込む廃トンネルと泣く木
栗山町にある廃トンネル。
室蘭本線の下り線として使われていたが土砂崩れにより崩落しそのまま使われなくなり今に至る。
2年前に一度訪れていたが最奥部までは行っていないので今回再度訪れました。
トンネルの前に立つと前回よりも草が伸びて抗口が確認しづらい。
前回訪問時の写真。草木が少ない。
足元を見ると熊の糞と思われるものが。
実は前回訪問時も同じような場所に糞を発見している。
もしかするとたぬきの「ためふん」という同じ場所に糞をするという習性によって溜まった糞なのかもしれない。とはいえ警戒しておくに越したことはない。
国道が近いとはいえ熊に襲われたニュースが記憶に新しいこともあり少し不安になったが、だいぶ乾燥していて獣臭もしていなかったのが幸いで探索を続ける。
足元に伸びるレールを注意深く見ると刻印を見つけた。いつからかレールを見ると刻印を探してしまう様になってしまった。
一部草で隠れていているが「50N LD Sマーク 1983 Ⅰ」とあり新日本製鉄(八幡製鐵と富士製鐵が合併して誕生)製のレールと推測(LDは純酸素転炉により製鋼された材料により作られたことを表す)
Sマーク
トンネル入り口まで来ると冷たい風が吹いてくる。この日は風が強かったこともあり以前より強く感じた。
見てわかる通り完全に埋没しておらず奥は明るくなっている。
トンネルに入る。すぐに枕木特有のタールの匂いがした。
右手には赤いボタンのスイッチが。
前回訪問時。撮る絵が同じ過ぎてなんとも言えない。
またそのスイッチの位置を知らせる表示がある。スイッチではなくスイチなのが気になる。
奥に進むとヒンヤリとしてくる。暑い夏においては快適に感じる。
ライトをつけて奥に進むがなかなかに暗い。入り口で見たときは奥が明るいこともあって暗そうには見えなかったけど…
近くには地山に向けてボルトが3本刺さりコードのようなものが巻いてある。
上を見上げると補修の試験を行ったのか漏水の有無が書かれている。
どれも漏水が認められなかったようだが何の違いを調べていたのだろう。施工方法なのか材料なのか…
止まれ
突然闇に現れた文字に少し驚いた。
下調べしているためこの看板の存在は把握していたが実際に見ると少し不気味にも感じる。
この看板は誰に向けてのメッセージなのか。
立入禁止ではなく止まれであることから列車に対しての警告なのか。この看板を見た瞬間にブレーキをかければ土砂崩れ部の手前で止まれる計算なのか。
看板の後ろには仮の足場が組まれておりトンネル内の点検や調査に使われたのだろう。
ここでライトの電池が無くなった。とりあえずスマホで代用したがライトよりも暗く、枕木でつまずかないようにできるだけ腕を下に伸ばして足元の確認に徹した。
電池切れとともに肩にトンネルからの水が落ちてきて少しドキッとした…
足場の横を抜けると明り区間になる。
多くの方がこのアーチの明かり窓から差す光が作り出す光景をみようとここを訪れているのではないでしょうか。
この明かり区間はトンネルというより覆道(落石覆い)で崩落部分はこの覆道区間の終点になる。
アーチ構造に縦に入ったコンクリート柱。補強かと思ったが山からの雨水を流すためのもののようです。線路の下を通り国道側へと続いていた。
この部分は崩落したコンクリートの欠片が他よりも多く堆積している。
亀裂はトンネルを切断するように反対側までぐるりと続いている。
崩落部に辿り着いた。
崩落というより土砂が入り口に流れ込んでいるように見えるが破壊された部分は取り除かれたのだろうか。
足跡が多くあり登ってみようかと思いましたが崩落部分であることを考えると危険だと判断し写真撮影のみに留めました。
振り返る。
道路が近いため走行車の音が聞こえる。
道路側には有刺鉄線のようなものがあり出入りは難しそうに見える。またそれ以上に草が多く、冬季前後でなければ厳しいと思う。
しばしの間写真を撮る。本当は西日の入るもっと日が落ちた頃に撮りたかったが日が長いのでそれは厳しかった。(夕陽差し込んでないじゃん!タイトル詐欺かよ!)
そういえばトンネル区間のような風は感じなかった。それは当然明かり窓が多数あるからだろう…
時間に限りもあるので再び入り口向かって歩く。たまに振り返りながら写真を撮った。
またレールの刻印を確認。
→ 50N LD Sマーク 1968 ⅠⅠ
トンネル内のレールは湧水によって錆びており表面はザラザラとしていた。
行きは暗闇に向かって歩くので少々の心細さがあったが帰りは何も思わなかった。
トンネルの外に出た。
トンネルに向かって右手に「時計~確かめて」という看板が。
現役当時のものなのか。保線員の人がトンネルに入るときに気をつけてねということなんだろう。
トンネルより手前の国道との立体交差のためのボックスカルバートが残っている。
線路は残っているが二度と列車が走ることはないと言ってもいいと思う。現在は単線として運行しており十分輸送もできているはずである。
岩見沢方面を見る
50N Sマーク 1966 ⅠⅠⅠⅠⅠⅠ
よって構造物の維持にはお金がかかるので老朽化したときには補修ではなく撤去されるだろう。
竣工年や水セメント比などが書かれているがエポキシ樹脂と思われる補修によって竣工年の判別ができない。
ここで蛇足ではありますがこのトンネルの近くにある「泣く木」の言い伝えについて簡単に紹介したいと思います。
トンネルに並行している国道には大きなハルニレがあり国道の拡張工事の際に切り倒そうとするが木から泣き声のような音がするという話が広まった。伐採しようとした人に不幸が多発したというものである。交通事故が多発したなどの話もあるが詳しくは以下のサイトを参照して下さい。
こういった話はただの噂と思っていましたが栗山町HPにも記載がありました。
現在は泣く木の近くに生えていたハルニレが大切にされ、石碑も建っています。
原因は栗山トンネル建設時に亡くなった人が埋められたから、女の霊が取り憑いた、アイヌ人の娘が…など色々と言われていますが真実は不明です。
ただ、1891年(明治24年)完成でタコ部屋労働に従事した市来知周治監(いちきしり)囚人30名程の人が亡くなったとも言われており比喩ではなく字の如く「血と汗の結晶」であることは確かであると思います。
上記のアメーバブログで紹介されている本は泣く木について調査しており様々な時代の姿を見ることができます。(もちろん室蘭本線や国道の様子も)
ストリートビューで見ると泣く木があったところは当時の擁壁が残っている。
写真中央左にあるのが通称2代目泣く木。
実は廃トンネルの前で動画を撮っていたときキィーという音がしました。
木と木が擦れる音と思われますが…
以上、夕陽差し込む廃トンネルと泣く木でした。
最後までお読み頂きありがとうございました。