こんにちは。お待たせしました。後編です。
まだ前編をご覧になっていない方はこちらから
hokkai-nekotaro.hatenablog.com
ジオ弁を食べる
野外博物館を歩いた後はバスに乗り再び三笠博物館へ戻り昼食を頂きます。
昼食はジオ弁という三笠ジオパークをお弁当で表現したものでした。
アンモナイトをイメージしたホタテなどガイド後に食べると復習にもなりそう
とても美味しかったです!
お弁当についてきたお茶がポリ茶瓶というらしく昔は駅弁にこのお茶がついていたそう。私はこの日初めて見ました。
昼食を頂き出発まで時間があるので館内をぶらぶらしていました。どこの博物館や展示会に行っても一度じゃ回りきれないと思いますが、三笠博物館も同様に資料をすべて見ることができなかったのでまた来たいと思います。
いざ奔別炭鉱へ
個人的に一番楽しみにしていたのが奔別炭鉱でした。
敷地内に入る機会はあまりありませんから…
奔別炭鉱に着く。バスは敷地内に停めたので既に車内から立坑が見えています。
バスから降りると目の前に立坑。
初めて間近で見た立坑は大きく感じる。櫓の高さは約51m。
進撃の巨人の壁が高さ50mなのでそれより少し大きいくらいです。いや、分からん!という声が聞こえるのでもっと一般的なものでいうと東京ディズニーランドのシンデレラ城とおおよそ同じ高さです。
旧住友炭鉱立坑櫓は、
- 深部採炭の開発
- 奔別鉱と隣接した弥生鉱との統合及び集約
- 運搬・採炭等の集約
など合理化を目指し建設されました。
前編で紹介した錦立坑とは規模が違いますね。
錦立坑は大正9(1920)年頃に完成、旧住友奔別炭鉱立坑は昭和34(1959)年に完成なので40年間の技術進歩を感じます。
奔別立坑の説明を聞き終え、ホッパーの方へ移動する。
立坑は敷地外からも見えますがホッパーは奥の方にあるので普段は全体を見づらい。
全長は100m。迫力満点。
写真奥は増築部分
屋根は剥がれ落ち一部のみが残っている。手前右の柱は折れており長くは持たないと予想される。この姿を見れたのは貴重だと思う。
以前は中に入ることもできたとのことですがツアー時は安全が確保できないため近くまで行くことしかできませんでした。
石炭貨車を引いた機関車がここで石炭を積み運び出していた。増築部はアーチの梁になってることが見て取れる。
当時はここから石炭がドサーッと貨車に積み込まれていた。今は天窓のように光が差し込むばかり…
ホッパーを眺めているところで振り返ると立坑の裏側が見える。
ここで時間になったのでバスのある入口へと戻る。
奔別の字に東洋一と言われた威厳が感じられます。
立坑密閉作業中に発生した爆発事故により鉄骨が露出している。
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今回紹介した奔別炭鉱のホッパーですが2021年3月に積雪によって一部が崩落してしまいました。そのためこの状態の姿を確認したのはこれが最後になる。(ツアー実施2020/11/01時点)
倒壊後は2021年7月4日に奔別ガイドDAYにて確認しました。
2021年3月に一部が倒壊した旧住友奔別炭鉱のホッパーの倒壊部分の合成写真です。(2021/07/04現在) pic.twitter.com/Lg9Qi67gpK
— かえで (@SasuraiNeko42) 2021年7月4日
記事執筆中にホッパーの一部が倒壊し驚きましたし、残念な気持ちになりました。昨年度の雪は暖気で各地の家屋や廃墟に影響が出ました。
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奔別炭鉱を後にしたバスは三笠市弥生地区を通過する。
ここには炭鉱住宅が残っている。
バスからみた炭鉱住宅
日本建築学会 北海道支部より「旧住友奔別炭鉱の積込ポケットと弥生住宅について」という調査報告があるのでホッパーの構造や炭鉱住宅の中の様子などが気になる方は参照して下さい。
幌内炭鉱
次は幌内炭鉱。北海道の近代炭鉱の先駆けとして1879年に開坑。また、日本3番目の鉄道として1882年に幌内鉄道(三笠市幌内~小樽市手宮)が開通した。
現在は幌内炭鉱景観公園となっており一部の建物や抗口を確認できる。
幌内炭鉱変電所
バスは幌内炭鉱変電所の前に到着。
今回は変電所内の見学はできませんでしたが開放されている日もあるようなのでチェックしてみては。
幌内炭鉱変電所は約20km離れた夕張清水沢水力発電所で発電され、高圧で送電された電気を変電していた建物になります。
変電所の裏を登ったところには幌内神社がありましたが建物は既に倒壊しています。(2019年確認)神社も今回は訪れていませんが変電所と合わせて見学してみては。
幌内炭鉱景観公園には以下の写真のような遺構が残っています。
記憶では貨車の巻上機が設置されていた建物
安全灯庫
安全灯庫は安全灯という坑内で使用される照明を保管などするための建物。
安全灯が使用される以前はカンテラを使用していましたが坑内ではガスが発生するためより安全な照明として使われ始めた。
レンガ部分は形を残しているがそれ以外は崩れてしまっている。
音羽抗
音羽抗は明治12(1879)年に開拓使が大規模炭坑として開削されました。坑道は水平に伸び、延長700mであり、抗口から伸びるレールは明治15(1882)年に北海道で最初に開通した幌内鉄道に繋がり石炭が搬出された。
案内板には北海道の炭坑で唯一囚人が使役され、過酷で危険な作業を行ったそうです。明治15年に空知集治監(刑務所)が開設され、翌16年には音羽抗の約1km下方に幌内外役所が設置されたそうです。
北海道の炭鉱で唯一囚人が使役されたとのことですが他の炭鉱でもありそうなものです…
土の中からレールが顔を出しています。
道の土を少し避けてもレールが見える。レールなどはそのまま埋まっているのだろうか。
常磐抗
ツアー最後は幌内炭鉱常磐抗の抗口。
左にベルト斜坑本卸、右にベルト斜坑副卸、そして挟まれるように抗口神社があります。
ベルト斜坑本卸
ベルト斜坑副卸
抗口神社
2つの抗口を一枚に撮っておけば良かったと後悔。
案内板によると常磐抗は昭和13(1938)年から掘り進め、昭和16(1941)年に出炭が始まったそうです。
昭和25(1950)年にベルトコンベアーの工事に着手し2年後に完成。運搬能力は毎時540t、昭和59(1984)年にはベルトコンベアーの総延長は9000mに達する。
並んだ2つの抗口は役割が異なっており左手の抗口(本卸)は石炭を運搬、右手の抗口(副卸)は人や資材を運搬していたそうです。
神社は炭鉱で働く方の安全を祈るためでしょう。
以上でツアーの行程は終了し岩見沢駅へとバスで移動し解散しました。
三笠の魅力が詰まったツアーでとても楽しかったです。またこのような機会があれば参加したいですね。
岩見沢レールセンター
ツアー終了後に寄り道がてら岩見沢レールセンターを見てきました。
岩見沢駅の自由通路を通り駅北側に向かう。
この自由通路、気に入っています。
こちらが岩見沢レールセンター。
北海道の開拓期の建物は赤レンガで歴史を感じます。
岩見沢レールセンターはレールの加工を行っており青函トンネルの52kmのロングレールの製造にも携わっているそう。
建物は北海道炭礦鉄道の岩見沢材修場を使用しており近代化産業遺産や準鉄道記念物の指定を受けている貴重な建物。
現在も使用されているため確認はできませんが内部の補強材には古レールが使用されており明治9(1876)年のベスレヘム社(アメリカ)製のレールもあるそう。(Wikipediaより)
今回おまけみたいに紹介していますが、北海道炭礦鉄道は官営幌内鉄道から払い下げられて誕生しており本記事で紹介した炭鉱の石炭の運搬をしているためおまけで語れる様なものではありませんね…
この北海道炭礦鉄道岩見沢工場材修場は明治32(1898)年年着工、明治33(1899)年完成であり、車両製造や修理を担っていました。
岩見沢駅北口側
レンガ造りが美しい
北海道炭礦鉄道の社紋である五稜星が残っている
以上、三笠ツアー後編でした!
最後までお読み頂きありがとうございました。