羽幌炭鉱(本坑)には立坑の裏にレンガ造りの火薬庫があるが、今回はそれとはまた別の火薬庫を紹介する。この火薬庫は道道からそれほど遠くない場所に位置する。
うっすらと残る道路跡地を歩く。
毒々しいマムシグサ?テンナンショウ?の実が。
度々熊笹の揺れる音や鳥が飛び立つ音に怯えながら山中を進むと目的の火薬庫はすぐに現れた。
でかっ!
思ったよりも大きな火薬庫で驚いた。何よりも火薬庫があるのは自分が立っている場所よりも低い位置にあり、ヤブを漕いでいると足元の先に見えてきたのだ。火薬庫は土堤で囲まれているので、いきなり火薬庫を見下ろすとは思っていなかった。
東と南は山の斜面が土堤の一部となっており、私は東から歩いてきた。(上の写真は南西を見ている)
とりあえず土堤を降りてみる。
大きな火薬庫の開口部が見当たらない。一部、土堤が低くなっている場所があったが、ここが元々開口部だったのだろうか。
土堤の開口部を見つけた。そうそう、これをイメージしていたのだ。
正面の突き当りを曲がる!
火薬庫が見えてきた!が、足元が沼になっていてうまく歩けない。
通路の端を慎重に進む。
見えた。けど足元がもう限界状態でこれ以上は進めない。片足を引き抜こうとするともう片足がズブズブと埋まっていく。
引き返して結局土堤を登って上から撮影。
すでにお気づきの人も多いと思いますが、最初に見つけた火薬庫とは別物。さっきの火薬庫より小さめ。
先程の火薬庫側(東)へ土堤を歩きながら撮影していく。
写真奥が最初に進んだ通路。
土堤に囲まれているためか火薬庫の周りは水没しており、非常に泥濘んでいることが上から見てもわかる。
今立っているところから東側を見ると最初の大きな火薬庫が見える。
現在の立ち位置からのパノラマ写真がこちら。
写真左端が東、中央が南、右端が西である。
以上が火薬庫周辺の状況ですが、写真だけだと現地のイメージが沸かないと思うので、火薬庫の立地を概略図としてまとめたのが下記である。
赤矢印は探索経路
これらの火薬庫は運搬立坑と同時期に建てられたものではないかと考えている。位置的にも完成した立坑が人員昇降と石炭運搬を行うことで、本斜坑の役割が資材運搬となり、その本斜坑ともそれほど遠くない。(根拠のない予想です)
付近に他の痕跡が無いか探索してみたものの、これといったものは見つけられなかった。怪しい平場はあったが、、、
まだまだあの山には色んな遺構が残っているのかもしれない。。。