謎の凸状区画
突然ですが下の地番図をご覧ください。

こちらは旭川市永山町の地番図です。このままではよく見えませんので画像右側の北永山駅付近をもう少し拡大してみます。

なにかお気づきでしょうか。東西に走る国道39号(黄色線)沿いに特徴的な区画があります。さらに拡大してみましょう。

国道からの細い通路と四角い土地を合わせると450~500m2ほどの面積があります。この特徴的な凸型の区画は何でしょうか。
屯田兵村とは?
屯田兵村をご存知でしょうか。まず屯田兵とは北海道の開拓と北方警備のために明治から設けられた制度、また兵士と部隊を言い、屯田兵の集落が屯田兵村です。
屯田兵は兵屋と呼ばれる家と未開拓の土地(給与地)を与えられ農地開拓や軍人訓練を行っていました。
札幌の琴似から始まり北海道各地に屯田兵村がありました。今でもその名残として屯田や兵村といった地名が残っています。
屯田兵はそれぞれ大隊、中隊に編成されており、琴似兵村は「第一大隊第一中隊」、次に根室郡の西和田兵村が「第二大隊第一中隊」・・・となっていました。
今回ご紹介している旭川市永山町にあった屯田兵村は「第三大隊第一中隊」(西永山兵村)、「第三大隊第二中隊」(東永山兵村)と呼ばれ1891年(明治24年)6月に編成されました。(明治28年にそれぞれ第三大隊第五中隊、第三大隊第六中隊として再編成されている)
西永山兵村と東永山兵村を合わせると、永山跨線橋から当麻町との市町村界までの約7.6kmに渡って広がっています。
本当に屯田兵村の痕跡なのか?
屯田兵村の痕跡なのかは当時の屯田兵村地図を見ることで明らかになります。北方資料デジタルライブラリーでは永山兵村の給与地配置図を見ることができますので、下記URLからご確認ください。
特徴的な凸型の給与地が北見道路(現国道39号)を挟んで両側に設定されています。
同じ旭川市にあった旭川兵村の痕跡も残っていますので、そちらもご紹介します。
上旭川兵村、下旭川兵村(第三大隊第三中隊、第三大隊第四中隊)
上旭川兵村、下旭川兵村は現在の旭川市東旭川にありました。旭川神社から東側が上旭川兵村、西側が下旭川兵村になっています。
旭川の4条通りを東に進み愛宕放水路を越える南端橋を境に南端通という道路名になりますが、これは屯田兵村の「南端」から来ていると思われます。
※南端通は国土地理院では「南端道路」と表記されている。


他にも痕跡が見られる屯田兵村
北海道各地にあった屯田兵村の痕跡は地番図(登記所地図)から見ることができますので、下記を参考に兵村を探してみてください。(マップル法務局ビューワーで誰でも簡単に見られます)
篠路兵村
札幌市北区屯田にあった篠路兵村です。「屯田」と聞いたら札幌の屯田が最初に頭に浮かぶかもしれません。屯田1番通、屯田2番通、屯田3番通の西に痕跡が見られますが、近年の分筆によって分かりづらくなっています。

西和田兵村、東和田兵村
根室市にあった西和田兵村は西和田駅の北西に、東和田兵村は花咲港の北西にはっきりと残っています。西和田には被服庫が移転されており、北海道指定文化財として保存されています。


美唄兵村、茶志内兵村、高志内兵村
美唄市にあった3つの兵村は上川道路(現国道12号)沿いにうっすらと痕跡があります。
バス停名には「兵村」、「6年兵」(26年の意?)、「24年兵」、「25年兵」と兵村由来の名前があります。
※高志内は現在の光珠内。

北江部乙兵村、南江部乙兵村、北滝川兵村
江部乙市街周辺に痕跡が確認できます。北滝川兵村は滝の川運動公園周辺に広く残っており、屯田町という名前もあります。

野付牛兵村
北見市相内にあった野付牛兵村は今回ご紹介した兵村の中で一番はっきりと残っています。中央道路(現国道39号)の北側で相内駅と東相内駅の西側にありました。屯田川という川がありますが、これは屯田兵が稲作のために開削した水路(灌漑溝)です。


あとがき
何となく地番図を眺めていたら特異な形が目に入ったので調べてみました。屯田兵という言葉は聞いたことがありましたが、何気に調べたのは初めてでした。また、普段は目に見える遺構を探すことが多いのですが、今回は目に見えない地番から調べる新たな経験になりました。
地番図(登記所備付地図)からは旧道の線形なども分かるのでぜひ見てみてください。
それではまた。
ーーー出典ーーー
旭川市提供 地番参考図データ
札幌市提供 地番参考図データ
法務省登記所備付地図データ






































































