地番図から見る屯田兵村の痕跡

謎の凸状区画

突然ですが下の地番図をご覧ください。

地番図(旭川市永山町)

こちらは旭川市永山町の地番図です。このままではよく見えませんので画像右側の北永山駅付近をもう少し拡大してみます。

地番図(旭川市永山町)拡大

なにかお気づきでしょうか。東西に走る国道39号(黄色線)沿いに特徴的な区画があります。さらに拡大してみましょう。

拡大画像

国道からの細い通路と四角い土地を合わせると450~500m2ほどの面積があります。この特徴的な凸型の区画は何でしょうか。

 

答えはこの旭川市永山町にあった「屯田兵村」なのです。

 

屯田兵村とは?

屯田兵村をご存知でしょうか。まず屯田兵とは北海道の開拓と北方警備のために明治から設けられた制度、また兵士と部隊を言い、屯田兵の集落が屯田兵村です。

屯田兵は兵屋と呼ばれる家と未開拓の土地(給与地)を与えられ農地開拓や軍人訓練を行っていました。

 

札幌の琴似から始まり北海道各地に屯田兵村がありました。今でもその名残として屯田や兵村といった地名が残っています。

屯田兵はそれぞれ大隊、中隊に編成されており、琴似兵村は「第一大隊第一中隊」、次に根室郡の西和田兵村が「第二大隊第一中隊」・・・となっていました。

今回ご紹介している旭川市永山町にあった屯田兵村は「第三大隊第一中隊」(西永山兵村)、「第三大隊第二中隊」(東永山兵村)と呼ばれ1891年(明治24年)6月に編成されました。(明治28年にそれぞれ第三大隊第五中隊、第三大隊第六中隊として再編成されている)

西永山兵村と東永山兵村を合わせると、永山跨線橋から当麻町との市町村界までの約7.6kmに渡って広がっています。

 

本当に屯田兵村の痕跡なのか?

屯田兵村の痕跡なのかは当時の屯田兵村地図を見ることで明らかになります。北方資料デジタルライブラリーでは永山兵村の給与地配置図を見ることができますので、下記URLからご確認ください。

www3.library.pref.hokkaido.jp

特徴的な凸型の給与地が北見道路(現国道39号)を挟んで両側に設定されています。

 

同じ旭川市にあった旭川兵村の痕跡も残っていますので、そちらもご紹介します。

 

旭川兵村、下旭川兵村(第三大隊第三中隊、第三大隊第四中隊)

旭川兵村、下旭川兵村は現在の旭川市東旭川にありました。旭川神社から東側が上旭川兵村、西側が下旭川兵村になっています。

旭川の4条通りを東に進み愛宕放水路を越える南端橋を境に南端通という道路名になりますが、これは屯田兵村の「南端」から来ていると思われます。

※南端通は国土地理院では「南端道路」と表記されている。

旭川兵村、下旭川兵村

オレンジが下旭川兵村、ピンクが上旭川兵村(境界は正確ではない)

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他にも痕跡が見られる屯田兵

北海道各地にあった屯田兵村の痕跡は地番図(登記所地図)から見ることができますので、下記を参考に兵村を探してみてください。(マップル法務局ビューワーで誰でも簡単に見られます)

篠路兵村

札幌市北区屯田にあった篠路兵村です。「屯田」と聞いたら札幌の屯田が最初に頭に浮かぶかもしれません。屯田1番通、屯田2番通、屯田3番通の西に痕跡が見られますが、近年の分筆によって分かりづらくなっています。

篠路兵村

西和田兵村、東和田兵村

根室市にあった西和田兵村は西和田駅の北西に、東和田兵村は花咲港の北西にはっきりと残っています。西和田には被服庫が移転されており、北海道指定文化財として保存されています。

 

西和田兵村

東和田兵村

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美唄兵村、茶志内兵村、高志内兵村

美唄市にあった3つの兵村は上川道路(現国道12号)沿いにうっすらと痕跡があります。

バス停名には「兵村」、「6年兵」(26年の意?)、「24年兵」、「25年兵」と兵村由来の名前があります。

※高志内は現在の光珠内。

茶志内兵村、美唄兵村(一部)

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北江部乙兵村、南江部乙兵村、北滝川兵村

江部乙市街周辺に痕跡が確認できます。北滝川兵村は滝の川運動公園周辺に広く残っており、屯田町という名前もあります。

北江部乙兵村、南江部乙兵村(一部)

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野付牛兵村

北見市相内にあった野付牛兵村は今回ご紹介した兵村の中で一番はっきりと残っています。中央道路(現国道39号)の北側で相内駅と東相内駅の西側にありました。屯田川という川がありますが、これは屯田兵が稲作のために開削した水路(灌漑溝)です。

野付牛兵村(現豊田)

野付牛兵村(現美園、東相内町)

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あとがき

何となく地番図を眺めていたら特異な形が目に入ったので調べてみました。屯田兵という言葉は聞いたことがありましたが、何気に調べたのは初めてでした。また、普段は目に見える遺構を探すことが多いのですが、今回は目に見えない地番から調べる新たな経験になりました。

地番図(登記所備付地図)からは旧道の線形なども分かるのでぜひ見てみてください。

 

それではまた。

 

ーーー出典ーーー

旭川市提供 地番参考図データ

札幌市提供 地番参考図データ

法務省登記所備付地図データ

 

旭川紋別自動車道 遠軽上湧別道路の進捗

タイトルの通り旭川紋別自動車道の延伸工事の進捗を現地写真より紹介します。

旭川紋別自動車道は2025年5月現在で遠軽ICまで繋がっており、紋別市方面へ延伸すべく遠軽IC~遠軽中央IC~上湧別Cの区間遠軽上湧別道路)を事業中です。

新規事業採択時評価資料より引用

一般国道450号(旭川紋別自動車道)遠軽上湧別道路に係る新規事業採択時評価

https://www.mlit.go.jp/policy/shingikai/content/001391000.pdf

2024年6月

撮影地点https://maps.app.goo.gl/iTg8zQtX2Xo6G7YZ7 

東方向を撮影

遠軽IC(旭川方向)を撮影

国道333号と国道242号の交差点方向を撮影

2025年5月

遠軽IC

撮影地点は同じです。

遠軽IC(旭川)方向を撮影

遠軽IC(旭川)方向を撮影2

遠軽IC(旭川)方向を撮影(アップ)

紋別方向を撮影

紋別方向を撮影(アップ)

北電遠軽変電所の南側に施工中の新道

砂利に混じる黒曜石

道路ボックス(町道

撮影地点https://maps.app.goo.gl/iuQcUWoYqkNjZfcC9

左が旭川、右が紋別

左が紋別、右が旭川

遠軽IC方向を撮影。右奥がスキー場。

紋別方向を撮影。本線の盛土済みです。

ボックス背面の排水ドレーン

水路ボックス

撮影地点https://maps.app.goo.gl/hKshiH4Cd2VKQL4j8

左が旭川。水路ボックス手前まで盛土が続いている。

工事看板の完成予想図(絵は道路ボックスですが)

旭川方向を撮影

2025年5月現在、上記の道路ボックス、水路ボックス以外の構造物には着手していないようです。

遠軽ICはハーフIC×2の構造になるようですがセブンイレブンの辺りはどのようになるかよく分かりません。

 

四方山話

遠軽中央IC~上湧別IC間には木コンクリート橋があるのですが、工事で解体にならないか心配です。

あと、途中から名寄本線と同じルートを辿っているのは興味深いですね。線路があった場所は道路になっているので、それよりも高所に建設されると思います。上湧別IC以降も中湧別の市街を過ぎるまでは南の山沿いに進むと思われます。(どこで国道を跨ぐのでしょう?)

湧別町に残る木コンクリート

 

紋別防雪の疑問点と規制速度70km/hの謎

令和7年3月25日に開通した国道238号 紋別防雪事業区間(以下、紋別防雪)を走ってきました。

新しい道路ができると走ってみたくなりますよね?

令和6年度は道東道の阿寒IC~釧路西ICの開通、後志自動車道の仁木IC~余市ICの開通、道央圏連絡道路の中樹林道路の開通、そしてタイトルの紋別防雪と道路の開通がたくさんありました。(道路好きには堪らないのでは)

今回は紋別防雪で気になったところなどを書きます。

開通した紋別防雪(別線区間

開通した紋別防雪(現道改良区間

規制速度が70km/h!!

70km/hの規制速度を表す標識

プレスリリースにあった通り速度規制が70km/hとなっており嬉しい話です。ただ、この規制速度に少し疑問が。

なぜなら紋別防雪の構造規格は「第3種第2級」であること。これは道路構造令という政令で定められている道路の種別を表しています。(詳細は道路構造令で検索!)

で、第3種第2級の設計速度は「60km/h」です。あれ、設計速度よりも速度規制のほうが速い。。。

 

ここで、設計速度と規制速度の違いについて説明しておくと、設計速度は道路構造を設計するにあたっての基礎条件として定められています。(100km/hならカーブを緩くするなど)

対して規制速度(最高速度規制)は公安委員会(平たく言うと警察)が指定しているもので、安全な通行などを目的に定められています。

 

話戻しまして、道路種別による設計速度よりも実際の規制速度が速い理由を考えてみたところ、理由は分かりませんが「設計速度80km/h」で設計していたのではないかと思います。

速度規制については「交通規制基準」で定められており、紋別防雪を含む2車線の一般道路は基準速度が60km/hに設定されています。しかし、留意事項にこんな記載もあります。

9 自動車の通行機能を重視した構造の道路であっても、原則として80キロメートル毎時を超
える最高速度は指定しないこと。
10 自動車の通行機能を重視した構造の道路は、原則として次のいずれにも該当する道路とす
る。
(1) 設計速度が60キロメートル毎時以上であること。
(2) 立体交差化されていること。
(3)上下線が分離されていること。
11 70キロメートル毎時以上の最高速度を指定する場合は、交通事故発生状況を考慮するとともに、原則として歩行者等、軽車両及び原動機付自転車の通行止め規制を実施すること。

 

※交通規制基準 第33 最高速度(区域、自動車専用道路及び高速自動車国道を除く。)より引用

これらを要約すると(1)~(3)を満たしていても80km/h以上の最高速度には指定できないよ!だけど、70km/hに指定するときは通事故発生が起きないように歩行者や原付は通行できないようにしてね!ということです。

つまり、一般道は速度規制を70km/hにすることができるということです。

 

開発局はこの留意事項を満たせるような設計を行い、公安委員会と協議して70km/hすることができたということです。

実際に自動車専用道路ではないものの、「歩行者、自転車、原付」は通行できないとしています。

ただ、防雪事業の道路切り替えでわざわざ設計速度の基準を超えてまで70km/hにした理由は何でしょうか?

個人的には将来、旭川紋別自動車道と接続して高規格道路として供用するためだと考えています。広報もんべつの2009年10月号にも「当面旭川紋別自動車道の機能の一部を代替する」とあります。

現在事業中の遠別上湧別道路も規格は第1種第3級ですが、紋別防雪と同じ設計速度80km/h、幅員13.5mで進められているため道路構造も整合がとれます。

車両規制標識について

上記(3)の「歩行者、自転車、原付」を示す標識が設置されているはずですが、現地には見当たりません。正確に言うとそこにあっただろう痕跡しかありませんでした。

別線区間の起点交差点

写真左の2本の支柱がそれです。

実は最初から無かったわけではなく標識に描かれた内容が間違っていたため撤去されたのです。

道新の開通前の記事には標識が写っています。(国道紋別防雪事業は年度内完了 救急や物流改善に期待:北海道新聞デジタル

北海道新聞2024年12月20日(国道紋別防雪事業は年度内完了 救急や物流改善に期待)より

間違っていたのは標識だけではなく、プレスリリースでも同様の誤りがあり後日訂正のお知らせがありました。

訂正内容は下記のとおりです。

誤:歩行者、自転車、125cc以下の二輪車は通行できません。
正:歩行者、自転車、原付は通行できません。

違いは125cc(いわゆる原付2種)が走れるかどうかです。誤った方は自動車専用道路と同じ規制内容です。よって、ほぼ自動車専用道路だけど自動車専用道路ではないということですね。

125ccがOKなのは速度差が関係していると思われます。原付は最高速度30km/hで紋別防雪は70km/hになり速度差は40km/hになる。速度差が40km/h以上になると事故が起きやすいと言われているので原付のみ禁止とし、最高速度60km/hの125ccは通行可としたのでしょう。

防護柵について

暫定2車線の高規格道路で一般的に見られるようになったワイヤロープ式防護柵ですが、紋別防雪でも採用されていました。

仕様は暫定2車線用のLD種ではなくAm種でした。Am種の採用は珍しく他には道東道の阿寒IC~釧路西ICの4車線区間しか私は知りません。(旭川紋別自動車道遠軽瀬戸瀬IC~遠軽ICは80km/h制限ですがAm種なのか定かではありません。理由は続きより。)

見分けるポイントはロープ連結材の有無です。支柱の間の捻れた金属がそれです。

中央分離帯用ワイヤロープ防護柵(Am種)

ただ、ロープ連結材が追加されたのはR2からでそれ以前はスパンが3m(Bm種、LD種は4m)であること以外に違いはないと思います。(旭川紋別自動車道はこれに該当するのではないかと予想しています。→ロープ連結材無しのAm種)

通常のガードレール式中央分離帯やマウントアップ(縁石で囲まれた小高くなったもの)より安価で、ロープの緊張を緩めるだけで容易に交通開放ができる点がメリットです。

ワイヤロープの種類もそうですが、オレンジの反射材の貼り方、貼る支柱の間隔などは組織ごとに異なっているので気にして見てみると面白いです(よそ見にならないように注意)

舗装について

舗装は走行した感覚だと通常の密粒度アスコンかなと思います。ここで取り上げるのは舗装の施工継ぎ目です。

紋別防雪は全幅員が13.5mなので片側6.75mです。アスファルトを敷均しするアスファルトフィニッシャーという機械は大きなものでも舗装幅6mなので一度で舗装することができません。そのため、1車線でも2回に分けて舗装することになるのですが、時間を置いて舗装すると冷えて固まってしまい継ぎ目が発生してしまいます(コールドジョイント)。構造的にも弱点ですし、走行性も悪くなります。

これを防ぐためにホットジョイントという工法を用いることが一般的です。この工法は2台のアスファルトフィニッシャーをずらして同時に施工するものです。そうするとアスファルトが冷えて固まる前に1車線分を舗装し、転圧することができるのです。

なぜここまで紹介しているかというと、紋別防雪にコールドジョイントが出来ているからです。全区間ではありませんが、ちょうど左タイヤが継ぎ目に重なり走行性が良くありません。前述したとおり弱点になるのでポットホールなどの道路の損傷も起きやすくなります。

舗装の継ぎ目が目立つ区間(外側線の内側にある線)

よく交差点の右折レーンを増やすために路肩を拡幅している場所がありますが、舗装に段差ができていたりしていませんか?この場合は既設舗装に対して舗装するのでどうしても継ぎ目はできてしまいますが、紋別防雪は新規の路線なので継ぎ目なくできたはずです。偉そうに言える立場ではありませんが、少し気になったところでした。

舗装継ぎ目が損傷に至った例ビフォー(国道232号毘砂別)

舗装継ぎ目が損傷に至った例アフター(国道232号毘砂別)

終わりに

色々と思ったことを書いた結果、少しネガティブな雰囲気になってしまいましたが、快適で安全な道路を整備していただいていることには感謝の気持ちです。施工に関しても一部を見て言っているだけですので、、

紋別防雪の写真も色々と撮ったのでその紹介もできればと思います(Xで投稿するかも)。また、走行動画も撮っているのでそのうちアップしたいなと思ったり。。。

 

開通した中樹林道路などもまだ走っていませんし、これから開通予定の音威子府道路や日高道路も楽しみです。

 

それでは、また。

 

羽幌炭鉱の火薬庫

羽幌炭鉱(本坑)には立坑の裏にレンガ造りの火薬庫があるが、今回はそれとはまた別の火薬庫を紹介する。この火薬庫は道道からそれほど遠くない場所に位置する。

 

うっすらと残る道路跡地を歩く。

 

毒々しいマムシグサ?テンナンショウ?の実が。


度々熊笹の揺れる音や鳥が飛び立つ音に怯えながら山中を進むと目的の火薬庫はすぐに現れた。


でかっ!

思ったよりも大きな火薬庫で驚いた。何よりも火薬庫があるのは自分が立っている場所よりも低い位置にあり、ヤブを漕いでいると足元の先に見えてきたのだ。火薬庫は土堤で囲まれているので、いきなり火薬庫を見下ろすとは思っていなかった。

東と南は山の斜面が土堤の一部となっており、私は東から歩いてきた。(上の写真は南西を見ている)

とりあえず土堤を降りてみる。

大きな火薬庫の開口部が見当たらない。一部、土堤が低くなっている場所があったが、ここが元々開口部だったのだろうか。

 

土堤の開口部を見つけた。そうそう、これをイメージしていたのだ。

正面の突き当りを曲がる!

火薬庫が見えてきた!が、足元が沼になっていてうまく歩けない。

通路の端を慎重に進む。

 

見えた。けど足元がもう限界状態でこれ以上は進めない。片足を引き抜こうとするともう片足がズブズブと埋まっていく。


引き返して結局土堤を登って上から撮影。

すでにお気づきの人も多いと思いますが、最初に見つけた火薬庫とは別物。さっきの火薬庫より小さめ。

先程の火薬庫側(東)へ土堤を歩きながら撮影していく。


写真奥が最初に進んだ通路。

土堤に囲まれているためか火薬庫の周りは水没しており、非常に泥濘んでいることが上から見てもわかる。

今立っているところから東側を見ると最初の大きな火薬庫が見える。

 

現在の立ち位置からのパノラマ写真がこちら。


写真左端が東、中央が南、右端が西である。

 

以上が火薬庫周辺の状況ですが、写真だけだと現地のイメージが沸かないと思うので、火薬庫の立地を概略図としてまとめたのが下記である。


赤矢印は探索経路

 

 

これらの火薬庫は運搬立坑と同時期に建てられたものではないかと考えている。位置的にも完成した立坑が人員昇降と石炭運搬を行うことで、本斜坑の役割が資材運搬となり、その本斜坑ともそれほど遠くない。(根拠のない予想です)

 

付近に他の痕跡が無いか探索してみたものの、これといったものは見つけられなかった。怪しい平場はあったが、、、

 

まだまだあの山には色んな遺構が残っているのかもしれない。。。

 

釧路港の石炭荷役施設

今回は釧路港(西港区)の石炭荷役施設について。

 

なんとなく西港周辺をグルグルとドライブしていると大きな船と明かりが見えたので近づいてみました。

遠くから見える第4埠頭の明かり。手前には堀松建設の移動式浮きドックがある。

近くまでくると第1埠頭から第3埠頭までは車一ついなかったのですが、大型ダンプが第4埠頭から出たり入ったりしてます。

これは気になる。交差点を埠頭の方へ曲がる。

すると、眼の前に大きな船が煌々と照らされ、その下へとダンプは向かっています。

 

ダンプの通行を妨げない場所に車を停め、徒歩で近づいていみることにします。

恐らくダンプの運転手からは不思議というか怪しさマックスだったと思います。夜中に人が歩いているような場所ではないですので、、

アンローダ

赤い大きな機械が目に入ります。最初、船の一部だと思っていましたが港の荷役施設のようで、「チェーンバケットエレベータ式アンローダ」というらしい。

三ツ輪運輸㈱のHPによると1時間で1200tの石炭を荷揚げできるとのこと。港湾荷役|三ッ輪運輸株式会社 (mitsuwa-co.com)

アンローダと検索するとIHI運搬機械㈱の紹介ページを見つけました。 2003年6月27日の日本海事新聞にアンローダ受注との記事があります。

石播/石炭荷役用アンローダー受注。釧路港向け受注、20億円
 石川島播磨重工業は26日、釧路市から釧路港西港区第4埠頭向けに石炭荷役用の連続アンローダー1基(バケットエレベーター式、荷揚げ能力毎時1200トン)、石炭搬送用コンベヤーほか付帯設備一式をフルターンキーで受注したと発表した。受注金額は約20億円。2004年10月に稼働する予定。石播はこれまで、釧路港第4埠頭向けに連続アンローダー1基、穀物荷役用の連続アンローダー3基を納入した実績がある。石播/石炭荷役用アンローダー受注。釧路港向け受注、20億円|日本海事新聞 電子版 (jmd.co.jp)

また、IHIからも2004年9月30日付のプレスリリースで搭載完了とあります。

www.ihi.co.jp

HPには能力が2700tと書いてあるけどどちらが正しいのか…実際の運用が1200tということか

クチバシのようなバケットを輸送船に入れて石炭を荷揚げするのでしょう。

船からアンローダで荷揚げされた石炭はダンプへの積み込み施設にベルトコンベアで移動しているみたい。

荷役施設(ポケット)とアンローダ

石炭をダンプに積み込む様子を見学。これも怪しい人に見えたに違いない(入口の警備員さんが乗っていると思われる車が停まっていましたが、何も言われていないので問題はないでしょう)

この積み込み施設はGoogleマップには石炭荷役機械ポケットと書いてある。廃鉱のポケットは見たことありますが、現役のポケットは初めてかもしれない。

レーンは4つあるがこの日は2番のレーンのみ使用していた。

ダンプが一台ずつポケットに入ると、蓋が開き石炭が積み込まれる。積み込みが進むと、スキーリフトの音に似たチャイムが鳴り、ダンプは少し前進する。このチャイムが鳴る度に、ダンプトラックは前進を繰り返す。なるほど、排雪と同じ要領だ。ポケットの搬出口は動かないのでそのままだと偏って入ってしまうので、ダンプがいい感じに前進して、いい感じに積み込まれている。

ダンプの前進距離はどこかに示されているようには思えないけども、上記のとおりいい感じにやっているのだろうか。

よーく見るとチャイムだけではなく信号も青が点灯している。上から何かしらの方法で積載状況を把握して指示しているのかな。

満載になるとチャイムがプルル、プルルと2回鳴る。すると、ダンプはホッパーを出て貯炭場へ向かいました。

ホッパー下に待機するダンプ(後方より撮影)

ホッパーから積み込まれる石炭

ホッパーから積み込まれる石炭(前方より撮影)

満載になり閉じたホッパー

ホッパーを見ると炭鉱でよく見る漏斗の形をしていて、なんだか少し興奮した。眼の前でリアルタイムで積み込む姿を見られるのは嬉しい。

ホッパー

この日石炭を運んできた船は「YONG HONG ZHOU」という名前らしい。いかにも中国という名前である。船籍はパナマらしい。もっと調べてみるとロシアのナホトカから来たようです。ナホトカは小樽市姉妹都市になっていて極東最大の港とのこと。シベリアに抑留されたの多くはナホトカ港から帰国した。

船名

石炭を積んだダンプは、星が浦にある新太平洋商事の貯炭場に運んでいく。

石炭の運搬は三ツ輪運輸が行い、管理・販売は太平洋商事が行っているのか?そのあたりは分かりません。

※新太平洋商事㈱は2020年4月1日以前は太平洋石炭販売輸送株式会社という社名でした。社名変更は釧路臨港鉄道の廃止によって石炭輸送が無くなったことによります。

星が浦の貯炭場

 

北海道各地の港で石炭の輸入は行われていますが釧路のように大型の荷役設備がある港はないのでは。(他にもあったら教えてください)

釧路には日本唯一の坑内採炭を行っている釧路コールマインもあり、炭鉱に興味のある人には一度は訪れていほしい街ですね。

三笠などでは炭鉱遺産として廃鉱を活用していますが、現役の炭鉱や石炭に関わる仕事に目を向けてみることも大事だと思います。

 

※動画も撮影したので編集して投稿しようと思います。

北海道の戦前の橋「岡山橋」について

岩見沢市道にあるアーチ橋。国道12号から水色の橋をみたことがある人もいるかもしれません。橋の名前は「岡山橋」と言います。

この橋はとても歴史のある橋で、道内に現存する数少ない戦前に建設された橋として有名です。一番の特徴はソリッドリブ式タイドアーチ形式で初めて建設された橋梁であることです。(道内で)

まず、ソリッドリブというのはアーチ部材はI桁鋼材や箱型鋼材でできていることを指します。そして、タイドアーチというのは「タイ」という部材でアーチを結んでいる構造です。そもそもアーチ橋というのは水平反力が大きく、それに耐える基礎や地盤が必要です。イメージで言うと、柔らかい定規を親指と人差指でギュッと縮めると指に戻ろうとする力がそれです。

(出典:Wikipedia「アーチ橋」よりアーチ橋 - Wikipedia

岡山橋がある地域は泥炭地であり、地盤は良くありません。そこで、タイドアーチという形式が選ばれました。定規の例でいうと、定規の両端に輪ゴムをくくりつけると外に開こうとする力を輪ゴムが受け持ちます。この輪ゴムがタイ部材にあたります。

形式の解説はこのあたりにして、この橋の歴史を紹介しますと、建設時は国道12号の橋梁として利用され、その後1969年(昭和44年)に国道の切り替えにより旧国道(市道東岡山線)となりました。一時は老朽化で通行止めになった時期もあったようですが、補修され現在に至ります。2023年現在、87歳になります。

この橋の設計者も有名な方で、高橋敏五郎という方です。この橋の設計よりも国道36号線、通称”弾丸道路”建設を指揮したことで有名です。(当時札幌開発建設部部長)他にも”木コンクリート橋”にも関わりがあり、北海道の道路史と切っても切れません。

諸元等

橋梁名:岡山橋(おかやまはし)

竣工年度:1936年(昭和11年

形式:ソリッドリブ式タイドアーチ橋

橋長:55m

幅員:7.5m

交差物:幾春別川

 

地図

岡山橋は現国道12号の東側に位置しています。


右上の岡山神社から続く道が旧国道です。

goo.gl

 

参考に、1962年(昭和37年)の航空写真を記載します。


地図・空中写真閲覧サービスより「MHO622 1962/06/12(昭37)」を編集。

https://mapps.gsi.go.jp/maplibSearch.do?specificationId=378161

 

現地写真

①岡山橋を三笠市方より撮影

 

岩見沢市方より撮影

 

③遠景より。この角度から見るアーチ橋は美しいですね。

 

④銘板1「をかやまはし」

「お」ではなく「を」であること、右横読みが歴史を感じさせます。あと、この銘板は親柱についていたものを移設したのだろうか。親柱は補修の際に撤去されていますが・・・

 

⑤銘板2「昭和11年6月竣工」

 

⑥④の橋名板の横には選奨土木遺産のプレートが付いています。

後ろに見える緑の橋が現国道12号の岡山橋です。

 

通行止め時には解体の噂がありましたが、このように綺麗な状態で令和の現在に存在していることは嬉しいことです。

意識していないと通り過ぎてしまいますが、ちょっと立ち寄ってみてはいかがでしょうか。

 

夕張市の橋梁撤去予定ついて

こんにちは。気がつけば2022年もあと数日になりました。

 

今回は夕張市の撤去予定の橋梁について紹介したいと思います。

https://www.city.yubari.lg.jp/gyoseijoho/shisakukeikaku/kakusyukeikaku/ybrshuzenkeikaku.files/2022keikaku4.pdf

 

夕張市橋梁長寿命化修繕計画によると、通学橋、鹿の谷橋、登川山手線跨線橋若水橋(上り・下り)の5橋が撤去予定となっています。

 

各橋の詳細については以下のとおりです。

通学橋

場所:若菜通学線

種類:鋼橋

径間:1径間

橋長:21m

全幅:4.8m

架設年:1967年

2027年年度設計、2029年度撤去

鹿の谷橋

場所:鹿の谷3丁目線

種類:鋼橋

径間:1径間

橋長:20.44m

全幅:3.7m

架設年:1967年

2029年度設計、2030年度撤去

登川山手線跨線橋

場所:登川山手線

種類:鋼橋

径間:1径間

橋長:21.4m

全幅:4.3m

架設年:1973年

2024年度設計、2026年度撤去

若水橋(上り)

場所:清水沢市街本通線

種類:鋼橋

径間:1径間

橋長:17.8m

全幅:6.5m

架設年:1952年

2023年度設計、2024年度撤去

若水橋(下り)

場所:清水沢市街本通線

種類:鋼橋

径間:1径間

橋長:18.97m

全幅:5.0m

架設年:1973年

2023年度設計、2025年度撤去

 

若水橋(上り)の1952年(昭和27年)架橋というのはすごいですね。ここは橋名にはありませんが、跨線橋なのでJRが廃止された今、修繕する必要はないですね。

ただ、撤去すると若菜方面への移動ができなくなるので、盛土で新規道路を作るのかなと思います。清水沢市街側にある清水橋は廃橋にする予定がないので、たぶんそうなんだと思います。

夕張市だけではなく全国の市町村では橋の修繕にかかる費用が大きくなっているので、橋の集約化が進んでいます。これらの橋も代替路があることから撤去の判断をしたのでしょう。

直近の撤去予定は若水橋(上り)が2024年度にあるので、2023年中に記録したいですね。

そういえば、大黒橋は通行止めになっているけど撤去の予定はないのでしょうか。通行止めにしているし、橋の先になにもないので急いで撤去する必要がないのでしょうか。

 

いろんな市町村で橋梁長寿命化修繕計画があるので覗いてみると面白いですよ!