11月1日に開催された秘密のドウミンSHOW三笠ツアーに参加してきたのでツアーについて書きまとめたいと思います.
目次
秘密のドウミンSHOW三笠ツアーとは
このツアーは観光庁の「誘客多角化等のための魅力的な滞在コンテンツ造成に向けた実証調査事業」を活用するバスツアーであり補助を受けているためなんと昼食付きで1000円!!
この三笠ツアーはこれからいくつも企画されているものの1つでこれからも様々なツアーの開催が予定されているので興味を持たれた方は是非参加してみてください!詳細・参加はこちら から
日程は9:15集合
9:30出発
15:00終了
集合場所はそらち炭鉱の記憶マネジメントセンターです
まずは集合場所へ
電車で岩見沢駅へ来ました.
紅葉も相まってとてもきれいな駅舎です.岩見沢駅について色々と面白いことを発見したのはまた別に...
集合場所であるそらち炭鉱の記憶マネジメントセンターは駅そばなのでJRを使うと便利ですね.
集合場所に到着し中に入るとまずは受付.ツアー代金の支払いや今一番重要な健康チェックが有りました.健康チェックでは熱がないか,風邪のような症状がないか確認されました.
観光庁から補助を受けコロナ禍でも観光を楽しめるように企画されたものですのでとても入念です.さらに,感染防止グッズなるものが渡されました.中身はマスク3つ,除菌シート,消毒スプレーなどでした.
集合時間よりもだいぶ早くに来てしまいましたが中を自由に見学できると声掛けを頂きましたので時間までちょこっと見学.
センターに繋がっている石蔵は明治42年にできたもので今から100年以上前に建てられたもので貴重な建物と言えます.中には展示物も有り面白かったです.ところどころ痛みが見えますが今でも残っていることに驚きます.
石蔵の入り口には炭鉱に関係するものが展示されていました.展示台も実際に炭鉱で使用されていたヘッドライトを充電する棚でした.
そうこうしているうちに出発時間になりました.バスには一人2座席で座るようにお願いがありました.どうやら定員は15名のようで大型のバスであったため空席のほうが多いような状況でした.これも密を避けるためでしょう.
バスは夕鉄バスです.
三笠市立博物館
30分ほどで到着.
まずは今日のガイドをしてくださる三笠ジオパークの方の下村さんから挨拶がありました.
その後は学芸員の方からアンモナイトについての解説がありました.内容としてはアンモナイトはイカやタコの仲間であるがそれはなぜだろうかというお話などなど(ネタバレにならないようにここでやめよう...)とても面白い話ばかりでした.
今回のツアー全体を通してなんですがガイドや学芸員の方の説明が分かりやすく聞き入ってしまいました.出身地が化石が採れるところで化石に興味のある私にとっては最高でした.そうでない方も楽しめる内容であると思います!
解説はアンモナイトについてだけではなく幌内炭鉱など炭鉱の歴史についても行われました.友子制度のお話などを聞くことができました.
野外博物館
三笠市博物館内を見学した後は野外博物館という森林鉄道跡を遊歩道として整備した場所を歩きます.野外博物館には多くの植生が見られ名前の通り自然を感じることができます.
野外博物館は博物館の対岸にあるため橋を渡ります.
橋の上から見た川は上流に向かって右側は白く濁っています.反対に左側は透明できれいな水が流れています.
これはここより上流で幾春別川と奔別川が合流していることが理由とのこと.右手の濁った水は幾春別川のものでさらに上流にある桂沢湖の泥岩を含んでいるそうです.だからこのように川の半分で色が異なっているんですね.
対岸に到着し右手を見ながら歩くと倒れた木がいくつかあります.どうやらここはズリ山で自然にできたものではないので木が根をしっかり張れずに倒れてしまっているようです.また,外来種が多いため紅葉の時期が異なっています.
11月になっているのにも関わらず青々としている.手前には倒木が目立つ.
この先を歩きましたが紅葉していないのはここだけでした.こうしてみるとただ倒れている木も興味深く思えます.
先程撮影した地点から左手(進行方向)は既に紅葉している.
幾春別森林鉄道
次に見えてきたのは幾春別森林鉄道の橋脚です.
これがこの散策路(野外博物館)が森林鉄道の上にある証拠です. この森林鉄道は三笠市幾春別炭鉱の開坑に大きく影響しました.理由は豊富な石炭の存在は地質学者の調査によって判明しましたが石炭の埋蔵量調査に至る前に石炭を見つけたのは木こりのおじさんだからです.きっと落ちている黒い石を見つけて珍しく思って拾ってみんなに見せたりしたんだろうな...
崖下に幾春別川が見えるところにやってきました.
対岸に見える地層は幾春別層といい5000年前の河川の地層とのこと.大きくえぐれている箇所は石炭層で周りの砂岩層よりも脆いため浸食が早く,大きく削れています.このような浸食を差別侵食といい異なる性質の地層が浸食されて起きます.幾春別炭鉱はまさにこの石炭の層を掘っていました.
写真をみて分かるように地層が垂直になっています.この垂直になっている地層がとっても重要です.なぜ地層が垂直になっているかはこのあと...
錦立坑櫓と巻揚室
ついに今回のツアーの目玉の1つ幾春別炭鉱 錦立坑櫓と巻揚室です.錦立坑櫓は1920(大正9)年に完成し櫓の高さは約10m,深さ197m,立坑の内径は4.85mとなっています.
現存する北海道最古の立坑櫓,錦立坑櫓と捲き室.近代炭鉱である幌内炭鉱に次いで1885年に開坑. pic.twitter.com/HGOAtSdNSL
— かえで (@SasuraiNeko42) 2020年11月2日
ツイートの通り幾春別炭鉱は北海道初の近代炭鉱である「幌内炭鉱」についで1855(明治18)年に操業を開始した炭鉱です.錦立坑櫓は現存する立坑櫓の中では北海道最古のものです.
櫓の柱部分にある鋼材には八幡製鉄所の刻印がある.また,立坑上部の壁には北炭の社章が残っています.
見にくいですが確かに八幡製鉄所ヤワタの刻印が確認できます.
北炭の社章.どこか誇らしげに見える.
巻揚室にはモータなどが設置されていた跡を見ることができました.外から見ると鉄筋コンクリートで柱が造られ外壁にはレンガを使い内壁はモルタル仕上げとなっていることが分かる.
散策路から少し川の方に降りると硫黄の匂い,温泉の匂いがします.階段をすべて降りて振り返ると錦坑抗口があります.
抗口はレンガのアーチでできており要石に当たる部分には錦坑と銘板がついています.ガイドさんによると開坑時に取り付けられたものであるらしいです.
抗口からは湧水が流れており温泉と同じような成分のため水が柔らかく感じるそうなので触ってみたが残念ながら私には分かりませんでした.
温泉の成分により石にも黄色くなっています.
この抗口は水平に伸びており先程の立坑の下まで繋がっており,立坑によって巻上げられた石炭などはここから運ばれていました.
ふと足元をみると赤い土であることに気づく.これは自然発火した石炭で赤ズリと呼ばれ,路盤材などに使用されたそうです.赤い理由はレンガが赤いのと同じ理屈です.赤ズリがあることからここから石炭を運んでいたことがわかるんですね.
レンガのように赤い土.
露出した石炭
石炭が露出しており木こりのおじさんが石炭をそのへんで見つけたというのもうなずけます.
黒く見えているところが石炭.
垂直な地層
幾春別層の差別侵食で紹介した垂直な地層.ここではそれが間近で見ることができます.メカニズムは川や海で砂や泥が堆積して形成された時,地層は水平ですが長い年月をかけて地層が左右から押されることにより一部が垂直な地層になります.ガイドさんはスポンジのような物を手で押すことにより説明していましたがとてもわかりやすいものでした.
北海道のみならず日本列島は火山大国,地震大国として有名ですがそれはプレートが4つ合わさっている場所,つまり,変動帯であるため地下の活動も活発でこのような自然現象が多く見られます.
日高山脈や大雪山系など北海道の中央に高い山がそびえ立っているのもこのプレートの活動の影響で北海道の左右から今も押され続けできたもので,化石が採れるところが北海道の中央付近に多くあるのもこの地下活動のせいなのです.
垂直な地層.黒く見ているものはもちろん石炭層.
狸掘り跡
狸掘りとは明治期に行われた手掘り採炭のことをいいます.なぜ狸掘りと呼ばれているか,その理由は曲がりくねった坑道がたぬきの巣穴に似ている,坑道から四つん這いになって出てくる様子がたぬきに似ていたからと言われています.
夜な夜な坑道に勝手に入って石炭を採り売ったり自分で使っていたとか...
黒い石炭層に沿って掘り進めていたことが外からも分かりますね.
自然にできた穴?それとも狸掘りのようなものなのか.気になる.ただ,ガイドさんは何も触れなかったなぁ... pic.twitter.com/qsCsPuVxmQ
— かえで (@SasuraiNeko42) 2020年11月2日
対岸にも狸掘りの跡が.草木のないこの時期にははっきりと見えます.
5000万年をひとまたぎ
5000万年をひとまたぎと聞いて???となった方も多いはず.
ひとまたぎ5000万年と書かれた場所を飛び越えるだけでなぜ5000万年もの時間を超えることができるのか.それは本記事でも紹介したとおり地下活動によって地層が垂直になっているため5000万年前の地層(幾春別層)と1億年前の地層(三笠層)がここで隣り合っているからです.間の5000万年は陸地化したときに浸食されたと考えられています.2つの層は全く性質の異なるもので三笠層は化石が出ますが石炭は取れません.幾春別層はその逆です.
みんなで足を揃えガイドさんの声かけでジャンプして飛び越えるなんてこともしました笑.
地層が変わっていることは並行して流れている幾春別川をみても分かります.
こちらは幾春別層側の写真.この川幅を覚えてください.
次に三笠層側の写真.ご覧の通り川幅が狭くなっています.1億年前の地層のほうが長い時間圧縮され固くなったことで侵食が小さくなり川幅が狭くなっているんです.
断層
ひとまたぎ覆道に入ると白亜紀の地層が見えます.
覆道の真ん中あたりでは断層を見ることができます.
左上から右下にかけて入っている亀裂が断層.この断層が動いたりした時の振動が地震です.
神泉隧道とイノセラムス
神泉隧道は幾春別森林鉄道で使われていた隧道(トンネル)です.
トンネル入口左手にはコンクリートによって固められたイノセラムスという生き物の化石があります.新桂沢ダムの建設時にも大きな化石がたくさん出てくるとのことですがほとんどは重機によって壊されてしまっているそうです...なんだかもったいないですが一つ一つ採掘しているときりがないくらい化石が出てくるのでしょう.
イノセラムスの化石.
説明板.ガイドさんも最近採石場で大きな化石を見たそうです.
神泉隧道は素掘りトンネルで詳しい人なら化石を見つけることができるみたいです.懐中電灯を片手に探してみるのも良いかもしれません.
隧道のゴツゴツとした岩肌に化石が眠っている.
鏡肌
鏡肌は断層によって磨かれ鏡のようになったことから呼ばれています.今は長い年月をかけて風化したため輝きが失われていますが昔は名の通り鏡のように輝いていたとのことです.
近くで見ると条線という岩石のすれた跡があり地層がどの方向に動いたかが分かります.
神泉隧道を抜けてすぐ左にある.条線は左上から右下に傾いてる.
神泉閣跡
神泉閣とは1910(明治43)年につくられた旅館です.旅館は幾春別川の対岸にあり旅館に行くには吊橋を渡らなければならず中央には大きな石に支柱を立てていました.支柱の立てられた石は今でも川の中央に残っています.なぜわざわざ対岸につくったのだろう...
この旅館には層雲峡の名付け親である大町桂月が訪れたことで知られています.おそらく旭川から札幌に移動する際に疲れを癒やしたのでしょう.
終生酒と旅を愛し、酒仙とも山水開眼の士とも称された。晩年は遠く朝鮮、旧満州(中国東北部)まで足を延ばしている。
桂月は北海道の層雲峡や羽衣の滝の名付け親でもある。北海道各地を旅行してその魅力を紀行文で紹介した。大雪山系の黒岳の近くには、彼の名前にちなんだ桂月岳という山がある。
支柱が設置されていた石.奥の建物がある辺りに神泉閣はあった.
桂沢神居古潭
桂沢神居古潭と聞いて一番最初に思い浮かべるのは旭川市の「神居古潭」ではないでしょうか.無関係ではなく神泉閣を訪れた大町桂月が神居古潭の景色に似ているということで名付けたそうで,浸食に強い1億年前の地層が生み出した景色と言えます.
確かに神居古潭の景色を思わせますね.紅葉も終わり落葉していなかったらもっときれいな景色だったと思います.
以上で野外博物館も終わりです.この後は三笠市立博物館に戻って昼食ですが長くなったので続きは後編で!