初秋の夕張~楓信号場~
暑い夏も終わりやっと秋らしくなってきました。
夜や朝方には肌寒く感じることも少なくありません。
秋といえば紅葉。その景色を撮るべく下見として今回は楓信号場に行ってきました。
楓信号場は夕張市楓地区にある石勝線の信号場です。
来春特急おおぞらから引退となるキハ283系を撮影するために札幌に近い楓信号場を選びました。が、交通アクセスが悪い。
楓信号場へのアクセスは乗用車のみでバスなどはありません。
では、どのようにして行くか。
簡単です。歩けば良いのです。
千歳~新夕張
千歳駅からおはようございます。
行程としては新夕張までJRで、楓信号場まで徒歩となっています。
キハ150には山線以来乗っていなかったと思います。
発車前に千歳駅を通過する特急北斗。
千歳駅を出るとエンジンを鳴らしながら加速する。やっぱり気動車だなぁと思う。
沿線の牧場特有の匂いを感じながら石勝線を進むと西早来信号場に停車。特急おおぞらとの交換のためです。
5分ほどすると特急をおおぞらが。この光景も見納めとは…
西早来信号場に進入するキハ283系特急おおぞら
交換後は夕張川に沿って川端、滝ノ上、新夕張と進みます。
この区間の車窓も撮影したのでyoutubeにあげようと思います。
新夕張駅
12時21分に新夕張駅到着。
折り返して千歳行きになるのかな?
駅前に出ると紅葉山駅の駅票が。
早速楓信号場に、と行きたいところだがその前に夕張川橋梁で撮影する。
夕張紅葉山の街を歩く。
森林管理署。いかにもと言った外観。
夕張川橋梁に到着。左岸から撮るか迷ったが柱が被らない右岸にした。
バックの山が紅葉で鮮やかな時期はもっと綺麗なんだろう…
撮影を終え、楓に向かい出すと後ろからキハ261系とは違うエンジン音が聞こえてくる。振り返るとキハ283系が!!
慌てて撮影したが酷い写真になってしまった。
どうやら特急おおぞら5号はキハ283系による代走だったようでちゃんと撮っていればそれなりに貴重な写真になっていたかも…
新夕張~楓信号場
気を取り直して楓信号場に向かう。
GoogleMapでは片道徒歩1時間らしい。
1340分過ぎに貨物列車が通過するらしいのでそれに合わせたいが間に合わなさそう…
国道274号を歩きます。
紅楓橋
ポンクルキ橋
自衛隊車両が多い
貨物列車には間に合わなさそうなので手前の楓陸橋で待ち構える。
煙をあげて走る列車は格好良い
楓信号場
到着。
列車が来るまで時間があるので周囲を探索。
炭ころってなんだろう
戻って撮影。
信号所内のカーブが格好良さを引き立てます。
2週間後には綺麗な紅葉になりそうですね。
上が切れてしまいましたが満足です。
動画も撮影しました。
楓信号場は元々楓駅であり写真は1番線跡です。
夕張市楓
撮影の合間に数回探索していた楓地区について。
昔は炭鉱があり栄えていましたが今は改良住宅が4棟ほど立ち並び、家屋が点々と立っているのみである。改良住宅もほとんど入居していない。
元々住んでいた方がここで余生を過ごしているのだと思う。
ここの集落も10年後には消えてしまっているのかもしれない。そう思いながら楓地区を歩いていました。
国道274号から集落(夕張方向)を見る。
改良住宅が立ち並ぶ
改良住宅を過ぎると楓炭山橋を渡る。
昭和34年11月竣工
楓炭山橋
右岸の竣工年
振り返って一枚
橋を渡るとカーブの突き当りにホッパーがある。
写真右の斜面から登る。
獣道なのか鹿の足跡が無数にある。
コンクリートは劣化しており骨材が露出している。
元々どのような構造だったのか分からないが中に土砂が詰まっていた。
登り切るとホッパーの平らな上部が広がっているが草が生えているため分かりにくい。土砂が流出して穴が空いている可能性もあるので足元に注意して進む。
登った斜面に対して右側にコンクリートの基礎のような物があり、ボルトが突き出ている。何かの台座と思われる。
数本のボルトが見える
道路の先には北炭楓発電所跡が。
振り返り山の斜面を見ると本卸斜坑抗々口が姿を見せる。
抗口右手の斜面を登る。
道ができており普段から人が歩いている?
ガス抜き管の雨よけが可愛らしい
楓信号場を見る。山の中に立つ改良住宅は不釣り合いに思えるが当時はこれが必要になるだけの人口がいたということであると改めて気付かされる。
列車の撮影もあるので長居しないで移動する。
来たときとは違う斜面から降りる。この後紹介する鶴亀橋の手前から道路へと戻ったがここも道ができていた。
斜面を降りて右手に鶴亀橋がある。
昭和廿七年十月竣工(廿は二十を意味する漢数字)
つるかめはし(変体仮名)
昭和■七年十月竣工(おそらく廿七)
鶴亀橋
奥が楓炭山橋。
鶴亀橋という名は縁起の良さからだろう。鶴は千年亀は万年と言いますから炭鉱が永く栄えて欲しい、そういった思いがあったのだろうと思います。
橋の下を見下ろすと川ではない。
上記写真を正面に右手、楓発電所跡方向
左手には添卸斜坑々口がある。
添卸斜坑々口
橋の下から
水が溜まっているが川というよりも沢。帰宅後調べると奥に水平坑道の抗口もあるらしいが水があり到達は普通の格好だと難しい。
ホッパー同様コンクリートが劣化して剥離している。昭和27年竣工だから当然といえばそうだ。
昭和52年航空写真を見ると抗口から続くレール(屋根)が確認できる。
国土地理院航空写真1977/09/25(昭52)日高より拡大編集
一番下が石勝線、その上がかつて登川まで続いていた登川支線。現在は国道274号線となっている。
付近には登川神社がある。
左奥に見えるのが鶴亀橋
炭鉱の安全祈願のためでしょう。元々はこの場所でなかったようですがこの地に再建立されたそうです。
登川神社の正面には石炭ガラス工芸館として使用されていた楓発電所跡があります。
雪の重さに耐えきれず半壊しています。
石炭ガラス工芸館(灰ガース工芸館になってしまっている)
真谷地炭鉱閉山まで事務所として使用されていました。
北海道炭礦汽船健康組合~と書いてある
付近を流れるホロカクルキ川に降りてみる。
濁りのない綺麗な水が流れています。子供の頃の川遊びを思い出します。
川を眺めていると黒い塊が。
これは石炭!
さすが産炭地です。
あちらこちらに石炭が露出している
一見綺麗に見える川でも油が浮いている。エキノコックスなどの危険もあるため川や沢の水は飲んではいけません。
見える橋は楓炭山橋。いつもの水量は分かりませんがあまり多くなかったです。
先だけのスコップ
川のそばには石炭がゴロゴロしている。
再び楓信号場へ
特急列車が来る時間になったので楓信号場へ戻り撮影します。
楓駅のあった線路をバックに楓の木
本線ホームへの通路だったらしい。今は謎の階段になっており封鎖されている。
擁壁には1973-11。石勝線開業は1892年なのでその前からあるようです。
跨線橋の銘板。銘板の内容を以下に示す。
設計 日本鉄道建設公団札幌■■
施工 株式会社 ■高組
設計荷重 TL-12
基礎工 (不明)
基礎根入 天端から9.6m
着手 昭和46年10月1日
しゅん工 昭和48年6月30日
錆などで判読不可な部分があります。
特急とかち、特急おおぞらを撮る。どちらもキハ261系です。
個人的にキハ261系は乗ってエンジンの音を聞いたほうが盛り上がる。
今回紹介した写真は一部のみですので少しずつ気が向いたときにTwitterに載せようと思います。
新夕張駅へと戻る
17時を過ぎたので新夕張駅へと戻ります。
駅に戻るだけなので特に面白いこともありませんが歩きながら見かけたものを撮っているのでそれらを…
2つの写真はなんとも言えない不気味な雰囲気。怖い…
国道274号線の上を通る道東道の橋脚には橋名が取り付けられている。「夕張みらい橋」と言うらしくのぞみ小学校の生徒が名付けたのか。
立派なPCラーメン橋
道東道を潜ると国道との分岐点がありそちらを歩くと小川橋がある。
昭和52年の航空写真を見るとこの道が主要道路として利用されていたことが分かる。おそらく旧国道でしょう。
国土地理院航空写真1977/09/25(昭52)日高より拡大編集
現在の国道が走っている場所には夕張線登川支線があった。
橋の右側には2代目楓駅が確認できる。
小川橋(帯広側)
昭和38年10月竣功(帯広側)
小川橋(札幌側)
昭和38年10月竣功(札幌側)
札幌側から振り返り撮影
右手にうっすら見えるのは道東道。
手前から小川橋、現国道の千紫橋、夕張みらい橋。
時代の移り変わりと技術の進歩が分かります。奥には石勝線も。
現国道の千紫橋と言う名前は千紫万紅から来ているのでしょうか。意味は「色とりどりの花が咲き乱れる情景」で楓や紅葉山という地名にならい、紅葉の色鮮やかな風景を想起しているのかもしれないと勝手に考えています。
橋を渡ると右手に家屋がちらほら。
倒壊している
黒猫
国道に戻りひたすら新夕張駅へと歩く。
夕張きぼう橋。みらいやきぼうと言った言葉をここまで並べられるのもなんだかな…
日も短くなり帰路は真っ暗です。ライトは必須です。
歩道があるとは言え交通量の多い国道ですし雑草だらけで歩きにくいです。ただ、その交通量のおかげで熊が出ることはありませんでした。
新夕張駅に到着
夕張市石炭博物館行きのバスが停車していた。
新夕張駅外観
きっぷ運賃表
待合室
廃線駅MAP
キハ261系は旧塗装。キハ283系が定期運行から引退したらこれも撤去となるのかな。
特急おおぞら9号
18時42分の千歳行き普通列車に乗って帰ります。
もっと鮮やかに紅葉した時期に来てみたいなと思いました。
最後までお読み頂きありがとうございました。